数か月前に、あるテレビ番組で「昆虫食」について特集していました。
将来、人口増加で世界中が食糧難になる可能性が高いので、家畜よりも繁殖力が高く、低コストで養殖出来て、しかも栄養価が高いという事で国連も推奨したと報じられていました。北欧のある国では、すでに多くの方々が始めているとの事でした。
「冷えとり」的には、昆虫も動物性食品になりますから、肉・魚などと同じ扱いで「冷える」方の食品になります。食べるなら、本にあるように全体の0.5~1割くらい食べれば良いのではないでしょうか?
私は、虫が嫌いな方ですので飢え死にしても食べたくありません。
日本では昆虫食は一般的だった
正直なところですが「昆虫食」については、何で今さら?と思ってしまいました。
日本でも昔から、田舎の方ではバッタの一種のイナゴを獲って佃煮にしたりして食べていました。
父が子供の頃(昭和初期)は、良く田んぼでイナゴを捕まえて売りに行ってお小遣いを稼いだそうです。今ではイナゴが少なくなってしまったので「珍味」として道の駅などで売られていますよね。
それに、長野県のある地域では今でも名物として「へぼ飯」というのがあります。これは、蜂の巣を採ってきて、蜂の子(蜂の幼虫)を巣から出してご飯と一緒に炊き込むというものです。好きな人にはたまらない味だそうです。
蚕の蛹をこっそり
大正時代あたりは、日本の絹糸が海外に盛んに輸出され、製糸業が盛んになりました。その為、多くの若い女性が女工さんとして製糸会社で働いていたのですが、今のように労働基準法があるわけでもなく、想像も出来ないくらいに過酷な重労働を強いられていたそうです。
女工さん達は、会社の寮に住み込みなのですが、待遇も悪くて栄養が乏しい粗末な食事で常に栄養不足だった為に、色々な病気にかかり、充分な治療も受けられずに多くの方々が命を落としたと聞いています。(その当時は不治の病とされていた肺結核が多かったようです)
ご存知のように、絹糸は繭(お蚕さんが吐いて作ったもの)をお湯で煮て糸を取ります。糸を取った後には、繭の中にあった蛹が残るそうですが、普段から栄養不足で過酷な労働を強いられている女工さんの中には、その蛹をこっそり食べる方がおられたそうです。それだけ、大変な時代だったという事ですね。
動物性食品は食べられないのが当たり前だった
太平洋戦争後は、日本は高度経済成長で人々の生活が豊かになり、卵・肉・魚・乳製品など容易に手に入るようになりましたが、それまでは、一般的な庶民はとても貧しい暮らしでお正月や冠婚葬祭以外は動物性食品は食べられないのが当たり前でしたし、その時すら食べられない家庭がほとんどだったそうです。
父からは「野菜の天ぷらでも、滅多に口には入らない時代だったぞ。天ぷら自体がごちそうだった。今では考えられないだろう?」とよく聞いたことがあります。
昔は今と違って、冷蔵庫も無いですし、自動車もそんなにない時代です。
特に山間部は、今のように物流が発達しているわけでもなく、冷蔵車があるわけでもありませんので、貴重な動物性たんぱく質として上記のように身近にある虫や蛇や動物を食べる事が多かったのではないかと思います。
進藤義晴「自然も経済も、循環が必要なのだ」
私の個人的な意見ですが、最近は何十年に一度の大型台風や異常気象という言葉を多く耳にします。その原因は「地球温暖化」ではないでしょうか?
父(進藤義晴)は、何十年も前から講演の中でこう言っておりました。
「地球温暖化は、南極や北極の氷が溶けて南の小さな島が水没するというだけの話ではない、全世界の気候がおかしくなり、農作物の生産や収穫、漁業にも大きな影響が出て、食糧難になる可能性がある。人間が一番偉くて、自然から色々な物を搾取して利用するばかりと言うような傲慢な考えは捨てなくてはいけない。
これからは、自然をもっと大切にして、自然エネルギーをうまく活用するとか、生ごみを発酵させてその発酵の熱で発電したり、発酵後のゴミを農作物の肥料にしたりと言うように上手く循環させることが必要だ。
「冷えとり」は「冷え」を取って血液循環を良くして健康になるというものだが、健康になるためだけの考えではない。自然も経済も、循環が必要なのだ。人間も自然の一部なのだから、真摯に向き合って考えなければいけない。人間は他の生物にはない頭脳を与えられたが、本来は地球の為に使えという事なのだ。今一度考え直す時期に来ている」
人類が傲慢な考えを改めて、私利私欲ではなく、今よりももっと地球温暖化を無くす努力をし、食品を無駄にしないように努力し、心がけていけば、なにも「昆虫食」に頼らなくても良いのではないでしょうか?
でも、食べたい方は個人の自由ですのでご自由にどうぞ。私は絶対に食べませんが・・・。