>>[改訂版]これが本当の「冷えとり」の手引書<<

奇人? 変人? -進藤義晴について

奇人変人 進藤義晴について
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よく、他人とは違った考えを持っていたり、常識とは違った行動をする人を世間では「あの人変人だね」とか言います。

もちろん、周りの人たちに迷惑をかけたり、不快な思いをさせるのは良くない事ですが、新しいことを考える「発明家」と呼ばれる方々は、周りから「変人」とか思われたり、言われたりしていたのではないでしょうか?

ノーベル賞を受賞される方々も、今までとは全く違った発想の持ち主が新しい物を考え、作り出しています。そう思いますと、私の父親(進藤義晴)も「変人」と言えるかもしれませんね。

進藤義晴が医者になった理由

ご存知のように、父は元々耳鼻咽喉科の医者ですが、どうして医者を目指したのか? 確か「子供の時にかかった医者が威張っていた。それが腹立たしくて、俺は威張らない医者になってやろうと思った」と言っていたように思います。

まあ、それでも勉強が出来なかったらそういう事も叶わなかったようですので、勉強は良くできたようですね。(私はこの遺伝子だけは受け継がなかったのですけど)

大阪大学の医学部で、専門の科を選ぶときに「人気の無い耳鼻咽喉科になろう」と思ったそうです。その当時(戦前)は、外科や内科になる人が多かったようですが、耳鼻咽喉科と眼科は保険の点数が低くて儲からないので選ぶ人が少なかったそうです。

今では、春になると花粉症の患者さんで耳鼻咽喉科は大流行りですが、私の子供の頃は花粉症など聞いたことがありませんでした。アレルギーもそんなに聞かなかったものです。

父曰く「俺が医学生の頃は、花粉症に関しては本に2~3行だけ記述があっただけだ。教授も花粉症は欧米にはあるが日本にはない病気だから君達は勉強をする必要は無い。と言っていたくらいだ」との事です。今は国民病とされていますが「冷えとり」で良くなった方が多々おられますので、取り組んでいただきたいですね。

苦痛が少なく、早く完全に治す方法とは?

父は、耳鼻咽喉科の医師になっても「開業は嫌だ。忙しいし、金儲けを考えなければならないから嫌だ」との事で、公立病院を転々としていました。(家族は迷惑な話です)

ここからしても、変人と思いますが、常に「患者さんの為に、苦痛が少なく早く完全に治す方法はないだろうか? 」と思いながら診療をしていたのです。そのうちに「多くの患者さんが完璧に治したと思ってもまた同じ症状で病院に来るのは何故だろう? 西洋医学ではダメなのか? それなら反対の東洋医学ではどうだろうか?」と思い立ち、病院勤めをしながら、独学で東洋医学を勉強し始めたようです。

そのうちに「症状だけを治しても駄目だ。内臓の具合が悪いから体の末端に色々な症状が出るのだ」という事に気が付いたとの事です。

父の「干支」はイノシシなので、猪突猛進と言いましょうか? 早い話が「融通が利かない奴」という事で、だんだんと症状を抑えるだけの治療をする西洋医学で診療をすることに違和感を感じてしまったようです。病院に来た患者さんに対して、薬を出さず、検査もせず、手術もせず、治療方法は指圧で治すという事になってしまいました。

痛くなくて良く治るので患者さんは増えましたが、耳鼻科医として雇われているので、カルテには書きようがなく、一番安い「再診料」とかで済ませていたそうです。そうなると儲けはガタ落ちになり、病院から睨まれるようになりました。当たり前です。

皮肉な事に、評判は色々なところに広がって「あの市民病院の耳鼻科の先生は変わった先生で、耳鼻科以外の病気も治してくれるらしい」という事になってしまいました。

開業後に「冷えとり」を開発

結局、定年を機に病院から辞めるように言われ、自宅で東洋医学の開業を始めていくうちに、東洋医学によく出てくる「寒邪」という事に着目して「冷えとり」を思いついたのです。が、誰でも「足を温めただけで病気が治るなんてアホな」と思いますよね。

こういうことを頑なに信じてここまで来たのは、やはり「奇人・変人」の類でしょうね?

最近は、徐々に「冷えとり」が広がってきて、注目されるようになってきましたが、まだまだこれからですね。我々も一人でも多くの方々に「冷えとり」を知っていただくように頑張らないといけません。一生勉強ですね。

そうそう、よく講演の時など「私にとって、進藤義晴先生は雲の上の人です」と言ってくださる方がいらっしゃいます。私は「すみません。まだ雲の上に行っていません。まだしぶとく生きています。あ、もうじき行きます。97歳ですからね」と笑いをとったりします。

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