冷えとりアドバイザー進藤幸恵の自己紹介です。
進藤幸恵(しんどう ゆきえ)
冷えとり健康法の専門家。
全国の「冷えとり」の同志と共に普及活動を続けている。
冷えとり健康法を1980年代からいち早く提唱した、医師 進藤義晴の次女。
約20年前に父からバトンタッチ。
講師を務めた勉強会・講演会・座談会は500回を超える。
冷えとり歴:20歳代後半から、父が「冷えとり健康法」を提唱し始め、初めは半信半疑だったが、実行しながら効果を実感し今に至る。
本業:「子すずめ・くらぶ」という会の名前で「冷えとり用品(グッズ)」の販売を、主に通販形式で行っている。
副業:依頼を受けて、全国各地の講演会に出向き、本の執筆や雑誌・情報誌などのインタビューに応じている。
生年月日: 1958年5月1日 三重県尾鷲市生まれ
夫と猫8匹と暮らす。
子すずめ・くらぶの名前の由来
元々は高校一年生の時に窓の外を眺めていたクラスメートから「あんたは小さくて良くしゃべるからスズメだね」と言われたのが始まりです。
会の名前を決める時に父に尋ねましたら「何か鳥の名前が入っていると良い気がする」との事でしたので「子すずめ・くらぶ」と付けました。
わざわざ「子」を付けたのは「いつまでも未熟者でずっと勉強をしなくてはいけない」と言う意味です。
「くらぶ」は人が集まるという意味があるそうですが、一人で営業しているのでこれは外れました(笑)。
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我が家の猫を紹介します
(左)トラジロウは暑さでグダグダしています。(23年1月没)
(中)あおいは9匹目の猫です。毎日買い物に行っているショッピングセンターの敷地の片隅にある草むらの中で「ニャー、ニャー」鳴いているのを保護しました。
(右)マメゴロウは産まれて直ぐに捨てられていました。私がミルクで育て上げたので私の事をお母さんだと思っています。
(中)あおいは9匹目の猫です。毎日買い物に行っているショッピングセンターの敷地の片隅にある草むらの中で「ニャー、ニャー」鳴いているのを保護しました。
(右)マメゴロウは産まれて直ぐに捨てられていました。私がミルクで育て上げたので私の事をお母さんだと思っています。
(左)ゴマちゃん。保護した時に後ろ頭に黒い小さい模様があったので、白いご飯に黒ゴマをかけたみたいで、ゴマと名付けました。しかし、大きくなって真っ白になりました。
(中)ドンちゃん。メスです。目付きが悪いのでなかなか良い写真が撮れません…。
(右)茶々丸です。オスです。この子もマメゴロウとおなじで赤ちゃんの時に保護して、私がミルクで育て上げたので、私の事をお母さんだと思っています。保護した時は300gでしたが今は 7.8kgの巨漢です。(19年のワクチン接種の時は8.4kgありました)
(中)ドンちゃん。メスです。目付きが悪いのでなかなか良い写真が撮れません…。
(右)茶々丸です。オスです。この子もマメゴロウとおなじで赤ちゃんの時に保護して、私がミルクで育て上げたので、私の事をお母さんだと思っています。保護した時は300gでしたが今は 7.8kgの巨漢です。(19年のワクチン接種の時は8.4kgありました)
(左)おこげちゃん。メスです。マメゴロウに虐められるので爺チャンの部屋をシェルターにしています。
(中)アヤメちゃん。メスです。チョコレート色の毛色が自慢。ドンちゃんが苦手です。
(右)黒太郎。オスです。一番年上で21年で10歳。一番食いしん坊です。
(中)アヤメちゃん。メスです。チョコレート色の毛色が自慢。ドンちゃんが苦手です。
(右)黒太郎。オスです。一番年上で21年で10歳。一番食いしん坊です。
進藤義晴(しんどう よしはる)
冷えとり健康法の開発者。
著書・講演録多数。
1923年生まれ
1948年大阪大学医学部卒業
1959年伊豆逓信病院勤務(現 NTT東日本伊豆病院)
1971年小牧市民病院勤務
1981年同病院退職
退職後、自宅で治療院を開業
1991年閉院
2023年1月永眠
進藤義晴が永眠しました
入院していた私の父(進藤義晴)が急変して元旦に永眠しました。 午前2時過ぎに緊急の電話が入り、駆け付けた時には息を引き取った直後でした。 今年で満99歳になって5月になれば100歳でしたが、亡くなったのが元旦でしたので数え年では101歳にな...
メディア掲載実績
- ゆうゆう 2020年12月号
- 週刊女性自身 2020年11/10 号
- 日刊ゲンダイ2010年10月1日号
- 天然生活2019年12月号 ぽかぽか冷えとり生活「進藤幸恵さんに聞く冷えとりのメカニズム」
- リンネル、Tocotocoなど 多数