よく思い違いされるのは、私が幼少期から「冷えとり」をしていて、お手本になるような元気な「冷えとりキッズ」だったのではないか? という事です。
全然違います。
冷えとりなんて、信じられない
私の幼少期は、ごくごく一般的な西洋医学にお世話になっていました。
咳が出れば「咳止め」、熱が出れば「解熱剤」など。色々な薬を飲まされていました。
父(進藤義晴)が元々は西洋医学一本の耳鼻咽喉科の医者ですので、仕方がありませんね。
父が東洋医学を勉強しだしたのは、もっと後で私が高校生くらいの時からだと思います。
今住んでいるところの市民病院を定年退職(本当は目の敵にされて首になった)をしてから、自宅で東洋医学(主に鍼)の医院を開業していくうちに「冷え」に着目して、徐々に「冷えとり健康法」を提唱し始めたのです。
最初は私も「何をわけのわからない事を言ってるの?」と思っていました。
5本指靴下なんて履きたくない!
いきなりごっつい綿の5本指靴下を出して「これを履け」と言った時に、私はまだ22歳くらいです。正直「やだ! そんなにみっともない靴下。どうしてそんなものを履かなくちゃいけないの?」と思いながら、家では我慢して履いていました。しかし、会社勤めをしていましたので、出社の時にはさっぱり脱いで、スカートにストッキングで出かけたものです。
父は「履いた感じはどうだ?」と訊きますが、内心よく分からず「良いよ」と適当に答えていたのを思い出します。
ごめんよ……
今では、シルクの5本指もありますが、その当時はありませんでした。
周りの反応も「何をアホな事を言ってる?」という事でしたので、そう思うと今はやりやすくなったものですね。
アレルギー性鼻炎、発熱、偏食
私は、物心ついた時からアレルギー性鼻炎がありました。
年がら年中鼻づまりで、段々酷くなり、点鼻薬が欠かせない子供でした。いつも頭がどんよりと重いし、口呼吸が酷くなり、寝ていても苦しくなって目が覚め、そのたびに枕もとの点鼻薬を使って眠りにつくというのが当たり前でした。
体もそんなに丈夫ではなく、良く熱を出しました。
今から思うと、当然いつも裸足です。それに、偏食も酷くて肉・魚は大嫌い。大人になるまでハム・ソーセージ・ちくわなどの加工食品以外は食べませんでした。
乳製品や野菜は大好きで、子供が嫌うセロリやピーマンなど平気で食べていましたが、甘いものが好きでしたので、よく袋菓子を抱えて食べて「ご飯はいらない」と言っていました。親戚の者が「この子は何を食べて生きているの?」と言っていたのを思い出します。
甘いもの好きというのは、今でも変わりません。
冷えとりで改善
消化器が悪いと甘いものが好きになります。消化器の毒は腎臓を攻めますので、消化器と腎臓の毒があると鼻に支障をきたしやすいという事になり、アレルギー性鼻炎になっていたのだと思います。
裸足でいると当然「冷え」が溜まりますので、一番「冷え」に弱い腎臓に毒が溜まってしまい、余計に鼻が悪くなります。
今でも甘いものを馬鹿食いすると、鼻が詰まったり鼻水が出たりしますので慌てて反省しています。
私は「一生この鼻づまりと付き合わなければいけない」と思っていたのですが、父に言われて嫌々始めた「冷えとり」によって徐々に改善されていき、気が付いた時には点鼻薬の存在を忘れていました。
自分で経験して納得できた
父自身も、東洋医学の開業をしていて、途中から「冷え」に着目して「冷えとり健康法」を提唱し始めたものの、最初は確信を持ちつつも手探り状態でした。一部の人からは「ペテン師」とか「お前の父親は頭がおかしい」と嘲笑されたものです。
多くの患者さんも信じてくれませんでした。裸足で来院して、慌てて玄関で靴下を履き、帰りには玄関で靴下を脱いで裸足で帰るという光景をよく見たものです。
私自身も「足を温めるだけで病気が良くなるわけがない」と思っていました。しかし、結局は半信半疑で実行していくうちに、半身浴で40度くらいの高熱が一晩で下がって平熱になって次の日に出勤出来たり、色々な変化が出てきましたので、認めざるを得ませんでした。
そのうちに、色々な瞑眩が出てきて大変な思いを随分させられましたが、何となく「冷えとり」で乗り越えてきましたので、効果を認めるようになったのです。
今でこそ「冷えとり」も徐々に認められてきました。その点では、我々も活動をしやすくなったと思います。
まず、自分で実行してみてください。
最初は分かりませんが、そのうちに大なり小なり変化があります。それは人それぞれの顔が違うように十人十色で色々な違う変化が出ます。
自分で感じ取るという事が大切です。