>>[改訂版]これが本当の「冷えとり」の手引書<<

「東日本大震災」に寄せて-冷えとり的防災用品

冷えとり体験談
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2021年3月11日は、東日本大震災という大災害が起こってから10年目です。

10年前のあの日は、テレビの映像を見るたびに、同じ日本国内であのような大惨事が起こっているという事が信じられませんでした。不謹慎ですが「これは現実ではなく、映画のワンシーンではないだろうか? そうであって欲しい」と願うほどでした。

心からお見舞いを申し上げます

岩手県や宮城県には、私の大切な方々がいらっしゃいますので、とても心配をして数日後に「無事」という事が分かった時には本当に安堵したものです。

しかし「犠牲になった多くの方々の事を思うと喜んではいけないのかもしれない」とも思い、複雑な思いをしたものでした。

今なお、行方不明のまま、故郷や家族の元に帰っていない方々もおられます。一日も早く帰る事が出来ますようにと願っております。

被災なさった方々は未だに心に傷が残ったままだと思います。心からお見舞いを申し上げます。それから、犠牲になった方々に心からご冥福をお祈りいたします。

冷えとり的防災用品

数年前に、福島県にお住いの方からこんなお話を伺いました。

福島県の原発事故で避難を余儀なくされ、色々荷物を作った時に、湯たんぽと靴下を多めに入れて避難所に向かったそうです。

周りの方々は「寒い、寒い」と言っていたそうですが、靴下を沢山履いて、レギンスも重ねて「頭寒足熱」にしているのでそんなに寒くはなかったそうです。

最初はお湯が無かったので、湯たんぽにお湯を入れる事が出来なかったそうですが、お湯を貰えるようになってからは、寝る時もそんなに辛くは無く、何とか乗り切ることが出来たとの事でした。

普段から、薬を飲まないので避難所で「薬が無い、不安だ」と思う事もなく過ごせ、食べるものが少なくても「普段から食べすぎしているから丁度良い」と思えたそうです。

その方は「ただお風呂に中々入れなかったのが一番辛かった」との事でした。

「足を温めていると、精神的にも楽でした。冷えとりをしていて良かった」とお話をしてくださいました。

日本は災害が多い国です。他人ごとではありません。もし、自分が避難するときには、このお話を思い出して荷物を用意しようと思います。

群馬県で作った杉っ子は要りません

福島県の原発事故は、その後も放射線の汚染問題などが住民の皆様の生活を奪い、大きな迷惑をかけ、苦しめました。原発は怖いと改めて思いましたが、まだ日本各地の原発を稼働させているのが現状です。恐ろしいと思います。

原発事故の数か月後、ある方がご注文のお電話をくださいましたが「杉っ子が欲しいのですが、何処で作っているのを販売していますか? 」とのご質問でしたので「群馬県高崎市です」と答えましたら「それなら要りません。群馬県の方にも放射能が流れているのですよ。その杉っ子にも放射能の影響があるかもしれないでしょ」との事でしたが、その前に生産者から「杉っ子は生ではなく杉の葉を煮出した物だから大丈夫だし、一応、検査をして大丈夫という結果が出たからね」という事でしたので、そのことをお伝えしましたが、やはり「要りません。他のところで作ったものは無いの? 」と言われました。

原爆病も冷えとりで良くなった

昔、広島で原爆の被害に遭った方が、原爆病で苦しんでおられたそうですが「冷えとり」と出会い実行した結果、体調が良くなられたそうです。「冷えとり」はそういう毒出しもしてくれるものなのですね。

先ほどの方は、父が東洋医学の開業をしていた頃に患者さんだった方です。私は「冷えとりで原爆病も改善されたのですから、ましてや杉っ子は飲むものでもないですし、検査もクリアしていると聞いています。怖がることは無いのではないでしょうか? 」とお話をしましたが、聞き入れていただけませんでした。

しっかりと「冷えとり」をしていれば怖がることは無いと思います。

福島県に仕事に行った時の事ですが、福島の方々が、「福島産の食品はしっかりと検査をしているのに、どうして認めてくれないのでしょうね? 皆頑張っているのに」と悲しそうに話しておられたのを思い出します。「人の立場に立って考える(他人本位)」というのも「冷えとり」の考え方の一つです。

もっと温かい心でいたいものですね。本当の復興はまだまだといったところだと思います。
東北の皆さんを陰ながら応援させて下さい。

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